安全連絡表から転換する

共立建設㈱大成事業所 佐藤です。あと2日で東日本大震災発生から10年を迎える。被災しお亡くなりになられた方々へ謹んで哀悼の意を表します。

当社では日々「安全連絡表」と言う現在は一種の社内報として社長が発信している。その中で昨日3月8日の書き出し「災害は忘れた頃にやってくる」を忘れないようにから始まり、東日本大震災に関する内容が記載されている。その中で社長も目を閉じ考えた一つに「南三陸町 遠藤未希さん」「大槌町 菊池由貴子さん」が思い出され、私達にネットで調べてみてはと問い掛けられていた。様々な表現や着色された内容があるので私は単純に調べていった。

遠藤 未希さん~南三陸町の役場で防災に関する部署へ所属し、有線放送で多くの町民へ避難を呼びかけた。その放送で多くの町民が救われた事実。当時の総理大臣が国会で名前を出したこと、「天使の声」など賞賛する。だだ遠藤さんのお父様は「尽力したおおくの職員がいるのに どうして娘だけ名前を挙げるのか」と。私達は遠藤さんから何を学び現在を生きるのか。私は職務を全うする姿勢を学ばなければならないと感じた。その他では危機意識の高さ、町民の安全を願う思いが強い方だったのかと感じている。深くを知らな私が語っていいのはこれまでではないでしょうか。また、菊池由貴子さんは大槌町で独自の新聞を発行し町民へ多くの情報がいきわたる活動を現在も行っている。※記載内容に誤りがありましたら申し訳ありません。ウィキペ見ました(笑)

私は2011年3月11日は外出先で大きな揺れを感じた。外に避難すると主要道路の電柱は大きく揺れ、道路は波をうっている?様に見えた?ただ事ではないと一瞬で理解し急いで帰宅。テレビをつけると津波がまさに上陸を始めた最前線のLIVE映像が目に飛び込み、声が勝手に出て、泣きながらみていた。そして、事業所の先輩宅も被災お父様が津波の犠牲になった。

さぁ~ここからが私達の真価が問われる。何を感じ、何を考え、何を活かすのか。10年経った今だからこそ美談はやめにして今に生かそう!!と思う安全連絡表でした。表現が間違っていますがあえて、しっかり泣いて、しっかり笑う。